山口県 |
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次は日本海沿岸の国道191号を40分弱走り 道の駅阿武町(あぶちょう) にやってきました。 ここへ来るのも約5年ぶりなんですが、国道から敷地に入ると何だか様子が変です。 トラックやら重機やらが忙しく動き回って何やら工事をしています。 車を停めて近寄ってみると貼り紙がありました。 どうやらリニューアル工事があっているようです。 裏手に回ってみると、新しい建物がかなり出来上がっていました。 これが店内で見つけた新装オープンのチラシですが、随分と立派になりそうです。 これは是非、4月20日過ぎにまた来なければなりません。 これが従来の道の駅の配置なのですが、“発祥交流館” の部分は従来通り営業しています。 物産館の機能などは一旦こちらに移っているようですが、工事現場に使うような仮設トイレが外に並んでいました。 ご覧のように玄関には、“全国道の駅発祥の駅” と表示されています。 こちらの看板にも書いてありますね。 実は “道の駅発祥の地” あるいは “全国道の駅第一号” を名乗る道の駅は他にも何カ所かあります。 平成5年に発刊された 「道の駅の本」(旧建設省道路局監修)によると、道の駅の始まりについて次のように書かれています。 1990(平成2)年1月に広島市で行われた 「中国地域づくり交流会」 のシンポジウムでの 「鉄道に駅があるように、道路にも駅があってもいいのでは」 という提案がなされました。 この発言をしたのが、山口市阿東町にある船方農場グループ代表の坂本多旦さんです。 その発言をきっかけに、1991(平成3)年10月から1992(平成4)年4月にかけて山口県、岐阜県、栃木県の3地域12箇所において仮設の休憩施設を使い、“道の駅の社会実験” が行われました。 ここ阿武町や、前回訪問した田万川町が、その社会実験のなされた場所です。 正式には、1993年4月22日に全国103箇所の施設が旧建設省により道の駅として登録されましたから、このすべてが 「第1号」 と言えるかと思います。 ご覧の石碑は、実は新潟県の “道の駅豊栄” にあったものです。 こちらは1988年(昭和63年)11月にできた “豊栄パーキングエリア” がもとになっていて、高速道路でなく一般道に初めてできた道路情報を提供する休憩所として “発祥の地” を名乗っています。 “発祥交流館” の中には、案内所、レストラン、情報コーナー、パン工房などがあります。 その奥が直売所です。 再び外にでて、道の駅の裏手にまわるとそこは海岸になっています。 沖合に浮かぶ小さな二つの島は “鹿島” という仲睦ましい夫婦島(男鹿島と女鹿島)で、カップルにとってのパワースポットになっています。 これは道の駅にあったリーフレットの最初のページです。 平成の大合併で合併せず、独自の街づくりを選んだ阿武町住民の幸せの青いバスは、ここ道の駅が始発駅になっていました。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 道の駅発祥の地!“阿武町” ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 再訪問日:2018-04-21 新しい道の駅「センザキッチン」を出て 道の駅阿武町(あぶちょう) に向かいました。
途中、萩の市内を通り抜け、日本海の海岸線に沿った国道191号を走って50分で到着しました。 ここへは過去2回来ていますが、2014年2月に来た時、リニューアル工事の真っ最中だったのです。
その年の4月20日に新装オープンしたのですが、その新しくなった道の駅をまだ見ていなかったのが、今回もう一度来てみたかった理由です。
これがその、新しく建て替わった道の駅です。 杉材をふんだんに使った、木のぬくもりを感じさせる建物です。
新しくなったのがこの “直売所” “レストラン” “温泉” の建物で、その先には温水プールもあります。
これが温水プールの建物で、25mプール、幼児プール、フィンランドサウナ、多目的ルーム、トレーニングルームなどを完備しています。
私たちはお腹が空いていたので、まず最初に向かったのはレストランです。
これが、レストランと温泉の入口で、入って右手が “日本海温泉 鹿島の湯” で、正面がレストランで “ダイニングカフェ846” といいます。
このレストラン、海を眺めながら食事ができ、なかなかの雰囲気です。 料理の写真は撮らなかったのですが、私は 「アラカブの煮つけ定食」、嫁は 「無角牛のハンバーグ定食」 を注文しました。
この、“無角和牛” というのが、ここ阿武町の特産のひとつです。
“短角牛” というのは聞いたことがありますが、これはその名の通り角が無い牛で、全国にも約200頭しかいない希少な種です。 その大半がここ阿武町で飼育されており、脂身の少ない赤身が特徴です。
嫁のハンバーグを少しだけ食べさせてもらったけど、違いがよくわからなかった!(^_^;)
さて、この道の駅、もうひとつ大きな特徴があります。 この看板をご覧ください。
左の看板が道路側から見たもので、右側はその裏側です。
『全国道の駅発祥の地 道の駅阿武町』 『ここより道の駅始まる』
と、それぞれに書いてあります。 ここにはもう一つ、古くからの建物があり、それがこちらです。
これが昔からあった道の駅で、現在は、“発祥交流館” になっています。 ここは、“道の駅の発祥の地” なのです。
その歴史をざっくりと振り返ってみましょう。
----*----*----*----*----*----*----*----*----*----*----*----*----*----*----*----* 平成2年1月に広島市で開催された 「中国地域まちづくり交流会」 主催のシンポジウムで 「鉄道に駅があるように道にも駅があってよいのでは」 という意見が山口県阿東町の坂本氏から提議された。
この意見をきっかっけに旧建設省(現:国土交通省)が動き、平成3年10月から山口県阿武町をはじめ、全国12カ所で第1回の道の駅実験が実施された。
平成4年7月からの第2回道の駅実験を経て、平成5年4月22日に全国103カ所の施設が、旧建設省より道の駅として登録された。 ----*----*----*----*----*----*----*----*----*----*----*----*----*----*----*----* 全国には、他にも “道の駅発祥の地” や、“道の駅全国第1号” を名乗るところが複数あります。
“全国第1号” は103か所あるわけだからこれは良いとして、発祥の地は実は定かではありません。
私は2016年7月に、ダイヤモンド社からの依頼で、“ダイヤモンドオンライン” に道の駅についてのコラムを書く機会がありました。
その中で、道の駅の発祥は山口県の 「道の駅阿武町」 と思われる、という内容を書いたのですが、それを読まれた、旧建設省のOBで、実際に道の駅の立ち上げに携わったという方から連絡を貰いました。
そのOBの方とは電話やメールで当時の経緯を詳しくお聞きしましたが、その方によると道の駅の原型が日本で初めて誕生したのは島根県の 「道の駅掛谷の里(かけやのさと)」 だということです。
ここも同じように “道の駅発祥の地” を名乗っています。
そしてもう一つお聞きした情報は、平成元年6月に中国地方整備局長に着任された岩井氏のことです。
岩井氏は、全国に先駆けて過疎化の進む中国地方を何とか活性化したいと様々な仕掛けを試み、それが 「道の駅」 の発想に繋がり、道の駅という言葉を初めて公式に使ったのも岩井氏だということです。
こうしてたくさんの方たちの知恵と努力、熱意で誕生した道の駅ですから、生みの親や発祥の地が全国に複数あってもおかしくはないと思います。
直売所とレストランの間の通路を海側へ出ると、こんなものがありました。
これは “幸せのモニュメント” といいます。 海の向こうに2つの島が見えますが、右側が “男鹿島” 左側のやや小さいのが “女鹿島” です。
仲睦まじい夫婦島として昔から地元では親しまれており、カップルや家族が幸せを願うパワースポットになっています。
さて、そろそろ直売所の中に入ってみましょう。
海産物を始め、とっても商品が豊富です。 その中でも、特に私が驚いたのはこの品です。
例えばこのお魚、サバが5匹パックされています。 大きさは25〜30cmくらいでしょうか?
そのお値段がこちらです。
なんと 「120円」 です。 他にも、サバ4匹とイカが1杯で、「100円」 というのもありました。
最初見間違いかと思ったけど、他の魚もやっぱり安いのです。 買う方は有難いけど、漁師さんたちはこれでやってゆけるのでしょうか?
遠方から来ているのでさすがに生魚は買わなかったけど、いろいろと買い物を楽しみました。
駐車場にはこんな車も! 道の駅の車はよく見かけるけど、こんな大きなのは珍しい。
外の景色もご覧のようにとっても綺麗です。 おそらく夕陽が素晴らしいだろうと思います。
“道の駅の発祥の地” のひとつとして、更に素敵な道の駅に生まれ変わっていました。
google map の自動記録、走行距離457km
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